名古屋工業大学の加藤雄一郎先生のこのブログ記事には、ある学生さんのドラマチックな卒業が描かれている。2007年3月31日。呉さんという学生さんの大学生活最後の日、研究室の他の学生さんたちと一緒に呉さんの卒業サプライズパーティーを仕掛ける。二次会が終わり、研究室にみんなで戻ったとき、加藤先生は呉さんに笑顔で「おめでとう」と言うつもりが、思わず泣いてしまう。そして、気がつけば、ほかの学生さんたちもみんな泣いていた。
小・中・高校であれば、教え子が卒業するときに教師が涙を流すのは珍しいことではないだろう。だが、教え子が卒業するとき「本当は手放したくない。もっとかわいがってあげたかった。もっともっと育てたかった。」という気持ちで泣いてくれる大学教師は日本中、いや世界中探してもそんなにいるものではないだろう。
この記事はただ感動的なだけではなく、大学教師のあり方という大きな問題を考えさせてくれるように思う。大学教師には高度な専門知識が要求される。だが、曲がりなりにもその国の将来を背負う人材を育てるという義務がある以上、専門知識の切り売りだけしていればいいわけではない。
加藤先生が他のブログ記事でも時々使われる言葉に「全身全霊」がある。加藤先生はまさに将来を担う若者を育てるという大学教員としての義務を全身全霊で真っ当されているのだろう。だからこそ、教え子が巣立つとき、感極まり思わず涙を流してしまうのだろう。
翻って、自分はどうか。どこまで大学教員としての義務を真っ当できているであろうか。恥ずかしながら加藤先生の足元にも及ばないと思う。日本では新しいことがスタートする季節でもある春、そのあたりのことに改めて考え直したい。
引用・参考記事
「呉っちん、私は自信をもってあなたを社会に送り出すことができます」http://blogs.yahoo.co.jp/kato_yuichiro/46028683.html
ひょんなことから国立大学助教授になった加藤雄一郎の奮闘記 2007年4月1日の記事
1 件のコメント:
このエントリーを読んでから、最後の日本語クラスを思い出しました。そのときには先生が書いたとおりにだいたい同じでした。北井先生がクラスを終えてから、皆さんはまだ教室を外したくなかったんです。泣いた人はもちろんいなかったが、皆さんはあまり喜ばないことがわかりました。
卒業はいいことですが、一緒に笑ったり泣いたりし合った友達から離れるのはきっと悲しいでしょう。でも、絆が固ければいくら大変でもあきらめたくないことを信じています。
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