ある学生へのメッセージ。
お前のやろうとしていることはものすごく無謀なことだ。
もし成功したら本当に天才だと言ってあげてもいい。
その自信はいったいどこから来るのか?単に強がりなのか?
でも、不可能と思えることを可能にしてほしいという気持ちもある。
まずは第一関を突破することだ。来週火曜日が勝負だ。
がんばれ。
今はただ見守ってやることしかできないけど。
ブログのタイトルはミスチルの同名の曲からもらいました。この曲の歌詞のように、いつもの単純作業でも回りまわって世界のだれかを笑顔にしているのだと思えば、ちょっと幸せな気持ちになれます。同じ理屈で、日本語を教える中で自分がしている些細なことも、今すぐではなくても、この先いつか学生の役に立つ日が来るのかもと考えれば、俄然やる気も出てきますし、手も抜けません。なんて、カッコつけすぎかな?
2008/12/12
「~と言いました」vs.「~と言っていました」 その後
ハンドアウトまで作ってあるのですが、時間がなくて、今日もこの違いについて説明できませんでした。
初級の最初で理解できる語彙が限られていることもあって、自信満々の例ではないのですが、思いがけず、以前の学生からのリクエストもあったため、紹介しておきます。
まず、「~と言いました」は典型的には話者自身または誰かが言ったことを一字一句そのまま引用するような場合に使います。
それに対して、「~と言っていました」は誰かが言ったことの内容を一字一句同じでなくても引用するような場合に使います。
私が考えた例は次のようなもの。
1) A is planning to have a party and invites B to it.
A: 来週 パーティーをします。Bさん、来ませんか。
B: いいですね。行きます!
2) A and C who is one of the participants of the party are talking.
C: 来週の パーティーにCさんは 来ますか。
A: ええ、(Bさんは)来ると 言っていました。
C: そうですか。
3) B had completely forgotten about the party and did not go to it. A and B are talking about it.
A: Bさん、パーティーに 来ませんでしたね。
B: えっ?パーティーですか。
A: ええ。Cさんはパーティーに 行きますと 言いましたね。
B: すみません!! 忘れていました…。
これでわかるかなぁ?
初級の最初で理解できる語彙が限られていることもあって、自信満々の例ではないのですが、思いがけず、以前の学生からのリクエストもあったため、紹介しておきます。
まず、「~と言いました」は典型的には話者自身または誰かが言ったことを一字一句そのまま引用するような場合に使います。
それに対して、「~と言っていました」は誰かが言ったことの内容を一字一句同じでなくても引用するような場合に使います。
私が考えた例は次のようなもの。
1) A is planning to have a party and invites B to it.
A: 来週 パーティーをします。Bさん、来ませんか。
B: いいですね。行きます!
2) A and C who is one of the participants of the party are talking.
C: 来週の パーティーにCさんは 来ますか。
A: ええ、(Bさんは)来ると 言っていました。
C: そうですか。
3) B had completely forgotten about the party and did not go to it. A and B are talking about it.
A: Bさん、パーティーに 来ませんでしたね。
B: えっ?パーティーですか。
A: ええ。Cさんはパーティーに 行きますと 言いましたね。
B: すみません!! 忘れていました…。
これでわかるかなぁ?
2008/12/09
「~と言いました」と「~と言っていました」
昨日のことだ。
初級クラスで質問を受けて、きれいな例が示せなかった。
「~と言いました」と「~と言っていました」の違い。
素朴な疑問かもしれないが、この質問は結構深い。
改めていつどちらを使うのかと聞かれると、なかなか説明しづらい。
分かりやすい例を考え中・・・。
と、このブログを書いている間にアイデアが1つ浮かんだ。
よし、これで試してみよう。
結果は後日報告ということで。
初級クラスで質問を受けて、きれいな例が示せなかった。
「~と言いました」と「~と言っていました」の違い。
素朴な疑問かもしれないが、この質問は結構深い。
改めていつどちらを使うのかと聞かれると、なかなか説明しづらい。
分かりやすい例を考え中・・・。
と、このブログを書いている間にアイデアが1つ浮かんだ。
よし、これで試してみよう。
結果は後日報告ということで。
シンガポール・シック?
今日、学期末の学生の発表があった。
そのうちの一人がシンガポールの学生で、シングリッシュについての発表を行った。
シングリッシュの例としてYouTubeにアップロードされたケイタリング業者と客との電話での会話を聞かせてくれた。
その会話を聞いたとき、何とも言えない温かい気持ちになった。
そうそう、この言い方!独特のイントネーションとアクセント。ぶっきらぼうだが、飾り気が無くて人懐っこい。
シンガポールを離れてシングリッシュを聞いて、こんな気持ちになるとは、シンガポールに行ったばかりの8年前には想像だにできなかったことだ。その当時は正直好きになれなかった。その言葉、そして、それを話す人たちも。
しかし、すっかり自分の心がシンガポールに根付いてしまったのだと今日、気づかされた。
最近ちょっとシンガポール・シックかもしれない。
あの国を去ってまだ半年なのに・・・。
そのうちの一人がシンガポールの学生で、シングリッシュについての発表を行った。
シングリッシュの例としてYouTubeにアップロードされたケイタリング業者と客との電話での会話を聞かせてくれた。
その会話を聞いたとき、何とも言えない温かい気持ちになった。
そうそう、この言い方!独特のイントネーションとアクセント。ぶっきらぼうだが、飾り気が無くて人懐っこい。
シンガポールを離れてシングリッシュを聞いて、こんな気持ちになるとは、シンガポールに行ったばかりの8年前には想像だにできなかったことだ。その当時は正直好きになれなかった。その言葉、そして、それを話す人たちも。
しかし、すっかり自分の心がシンガポールに根付いてしまったのだと今日、気づかされた。
最近ちょっとシンガポール・シックかもしれない。
あの国を去ってまだ半年なのに・・・。
2008/12/01
発話機能から導入する重要性
また、備忘録として。
文法・文型中心主義が嫌で新たな枠組みを模索しようとしているのに、まんまと文法に振り回された・・・。
「マス形」と「Vテイマス」の使い分けがよくわからず、混乱しているという質問を受け、どんな場面で使うのかを急遽説明。
マス形とVテイマスの違いがわからんなどという質問は今まで全く受けたことがない。しかも、それを聞いてきたのは英語ネイティブのアメリカ人の学生。英語にだって進行相の対立があるのだから、理解できそうだと思っていたのに・・・。
「~ている」の導入がまずかったか。「~ている」の機能を文脈の中で示すべきだったのではないか。
それを十分にしないまま、先週の「~ている」初出の授業では動詞の意味による分類を先にやり、ドリル練習だったので、よくわかっていなかったのだろう。アンチ文法中心主義なのに、これではまさに文法から入っているではないか!いかんいかん。
教科書にも問題があると思う。普通の初級教科書は「~ている」のいくつかの機能を別の課で逐次入れていく。しかし、今使っている教科書では、十把一絡げで一気にドンと入れてしまう。これでは混乱を招くのも当たり前という気がするが・・・。
やはり発話機能から入ったほうがわかりやすいに決まっている。言いたいことを言語化するという自然な言語処理のプロセスをたどった方が無理が無いに決まっている。それを実現するためには発話機能から入っていく方が、機械的な練習をするにしても、うまく理由付けができるはずだ。
文法・文型中心主義が嫌で新たな枠組みを模索しようとしているのに、まんまと文法に振り回された・・・。
「マス形」と「Vテイマス」の使い分けがよくわからず、混乱しているという質問を受け、どんな場面で使うのかを急遽説明。
マス形とVテイマスの違いがわからんなどという質問は今まで全く受けたことがない。しかも、それを聞いてきたのは英語ネイティブのアメリカ人の学生。英語にだって進行相の対立があるのだから、理解できそうだと思っていたのに・・・。
「~ている」の導入がまずかったか。「~ている」の機能を文脈の中で示すべきだったのではないか。
それを十分にしないまま、先週の「~ている」初出の授業では動詞の意味による分類を先にやり、ドリル練習だったので、よくわかっていなかったのだろう。アンチ文法中心主義なのに、これではまさに文法から入っているではないか!いかんいかん。
教科書にも問題があると思う。普通の初級教科書は「~ている」のいくつかの機能を別の課で逐次入れていく。しかし、今使っている教科書では、十把一絡げで一気にドンと入れてしまう。これでは混乱を招くのも当たり前という気がするが・・・。
やはり発話機能から入ったほうがわかりやすいに決まっている。言いたいことを言語化するという自然な言語処理のプロセスをたどった方が無理が無いに決まっている。それを実現するためには発話機能から入っていく方が、機械的な練習をするにしても、うまく理由付けができるはずだ。
2008/11/11
学習者の視点に立つ
備忘録としてここに書いておきます。
今日の授業後のやりとり。
ある学生が宿題のワークブックで次のような解答をしてきた。(下線部は空欄になっており、そこに学生が自分の発想で答えを書く。)
友だち: どこに行きますか。
私: こうえんへ行きます。
友だち: いいですね。そこで何をしますか。
私: 大自然をききます。それから、ごはんをたべます。
友だち: 何時に会いますか。
私: いまです。
採点していたとき、なんとも腑に落ちない感じがした私は、「大自然をききます。」に対して、"Is this a title of a song?"と、「いまです」については、これは意味を為さないという趣旨のコメントをした。
今日、この宿題を返した後、授業後に学生が私のところに来て、「大自然」は mother nature と言いたかった。そして、「ききます」はそうした大自然の音を聞くという意味であった。「いまです」も今行きたいと言いたかったということを言ってきた。そして、It took me a long time to do this homework. と言っていた。
そう言われて、ハッとした。全てこの学生にしてみたら意味のある(make sense)ことだったのだ。今までの自分は教師という視点からだけ物事を見て、こういう学生の懸命な努力を切り捨ててしまってきたのかなと反省した。小さいかもしれないけど大切なこと。
今日の授業後のやりとり。
ある学生が宿題のワークブックで次のような解答をしてきた。(下線部は空欄になっており、そこに学生が自分の発想で答えを書く。)
友だち: どこに行きますか。
私: こうえんへ行きます。
友だち: いいですね。そこで何をしますか。
私: 大自然をききます。それから、ごはんをたべます。
友だち: 何時に会いますか。
私: いまです。
採点していたとき、なんとも腑に落ちない感じがした私は、「大自然をききます。」に対して、"Is this a title of a song?"と、「いまです」については、これは意味を為さないという趣旨のコメントをした。
今日、この宿題を返した後、授業後に学生が私のところに来て、「大自然」は mother nature と言いたかった。そして、「ききます」はそうした大自然の音を聞くという意味であった。「いまです」も今行きたいと言いたかったということを言ってきた。そして、It took me a long time to do this homework. と言っていた。
そう言われて、ハッとした。全てこの学生にしてみたら意味のある(make sense)ことだったのだ。今までの自分は教師という視点からだけ物事を見て、こういう学生の懸命な努力を切り捨ててしまってきたのかなと反省した。小さいかもしれないけど大切なこと。
2008/09/20
シンガポールツアー3日目<6月9日(月)>
3日目は、銀行に用事があったので朝、クレメンティーへ。日本の銀行口座へのTTで、なんと口座を持っている銀行の住所を調べておくのを忘れたため、調べに最寄のインターネットカフェへといってもクレメンティー駅近くにはなく、City Hallまで行かなければなりませんでした。とほほ・・・。そして、また銀行へ戻り、TT手続き完了。ついでにクレジットカードの住所をCLSの住所に変更しました。あとは借りていたコンドの大家さんから払い戻してもらった前金と所得税の返納額を換金。で、その後、City Hallへ戻って、シンガポールで一番のお勧めの隠れ家スポット、Singapore Art Museumへ。


その後はブギスへ、カンポン・グラムとサルタンモスクを見に行きました。




いやー、どうしてもこういう建物のが気になってしまうんですよね。
そしていよいよサルタンモスク。


シンガポールに8年近くもいて、しかも、目と鼻の先のブギスジャンクションには時々行ったりしていたのに、どうしてここに来なかったのだろうか?
夕方だったので西日に照らされて、余計に荘厳な感じがしませんか?
そして、イスタナ・カンポン・グラム。



この辺りの町並みは、外国人からすると何ともいえない異国情緒あふれる雰囲気を醸し出していますよね。



この辺りをブギス駅までぶらぶらと。




市場のようなところで乾物を売っている店。カラフルなHDB。このHDBはネオさんの写真にもありましたね、確か。被写体としては面白いですよね。
その後、西友前からバスに乗ってラッフルズホテルの辺りで下車。シンガポールといえばやはりラッフルズホテルですね。



その後はブギスへ、カンポン・グラムとサルタンモスクを見に行きました。
いやー、どうしてもこういう建物のが気になってしまうんですよね。
そしていよいよサルタンモスク。
シンガポールに8年近くもいて、しかも、目と鼻の先のブギスジャンクションには時々行ったりしていたのに、どうしてここに来なかったのだろうか?
夕方だったので西日に照らされて、余計に荘厳な感じがしませんか?
そして、イスタナ・カンポン・グラム。
この辺りの町並みは、外国人からすると何ともいえない異国情緒あふれる雰囲気を醸し出していますよね。
この辺りをブギス駅までぶらぶらと。
市場のようなところで乾物を売っている店。カラフルなHDB。このHDBはネオさんの写真にもありましたね、確か。被写体としては面白いですよね。
その後、西友前からバスに乗ってラッフルズホテルの辺りで下車。シンガポールといえばやはりラッフルズホテルですね。
シンガポールツアー2日目<6月8日(日)>
2日目は、セントーサ⇒カトン⇒マーライオン公園⇒アジア文明博物館というコースでした。

ハーバーフロントまでMRTで行って、そこからバスに乗ってセントーサへ。
セントーサへ着いたら、ビーチをぶらぶら。そして、アジア大陸の最南端まで行ってきました。

そして、その後、ドルフィンラグーンでピンクドルフィンショーを見ました。お約束ですね、このルート。


そして、次はやっぱりお約束のアンダーウォーターワールド。普通の水族館という感じでどうってことなかったですが、水族館自体が久しぶりだったので、それなりに楽しめました。このくねくねしたヤツの名前は何だったかな?ムーミンに出てくるニョロニョロってこんな感じじゃなかった?そして、カニ。美味そうと言ったら不謹慎ですか?

セントーサからの帰りはケーブルカーで。上の写真はケーブルカーの中から撮ったものです。工事中なのはカジノですね。カジノがオープンしたらどうなるんでしょうね、セントーサは。
ケーブルカーに乗ったのでマウント・フェーバーまで行こうと思ったら、チケットを片道しか買っておらず、ハーバーフロントで係員のおじさんに、「片道チケットじゃマウント・フェーバーまで行ってもバスはないし、タクシーも来ねぇから帰ってこれねぇよ」と言われてしまい、渋々、ハーバーフロントでケーブルカーを降りました。とほほ・・・。
その後、10番のバスに乗ってカトンへ。ちょっと遅めの昼ご飯。


カトンといえばカトンラクサ。カトンラクサといえば有名な328ラクサですね。
というわけで、行ってきましたが、ほかのラクサと比べてめちゃくちゃうまいとは思いませんでした。私の舌が鈍感なのでしょうか。
シンガポールでもイーストはほとんど行ったことがなかったので、カトンのあたりをぶらぶらしていて、それなりに面白かったです。
シンガポールでは住むならイーストと言いますよね。NUSがイーストにあったらイーストに住めたのに!!
カトンからまたバスでシティーに戻ってきました。
ワンフラトンのあたりでバスを降りて、マーライオン公園へ。

シンガポールといえばマーライオンなので、一応ここは押さえておきました。世界3大がっかりなどと称されるマーライオンですが、ワンフラトン周辺の改修工事が終わって、海側に引っ越してからはかなりきれいになりましたよね。水もちゃんと出るようになったし。引っ越す前は水は出てないし、噴出し口の辺りにサビが付いて汚いし、本当に世界3大がっかりの名にふさわしい姿でしたが・・・。フラトンホテルのあたりは個人的に好きなエリアです。


上の2枚の写真はビクトリアコンサートホールとその前にあるラッフルズ卿の像です。ビクトリアコンサートホールも、遂に中に入ることなく終わってしまいました・・・。

シンガポール川対岸からボートキーを望む。
ボートキーは最近、人気が落ちているそうですね。なにせ、どの店も客引きがしつこいですから。

そして、最後はラッフルズ卿上陸記念の地。
この写真にも映っているマレー人の団体の皆さんが私が写真を撮る前にここで写真を撮っていました。
ハーバーフロントまでMRTで行って、そこからバスに乗ってセントーサへ。
セントーサへ着いたら、ビーチをぶらぶら。そして、アジア大陸の最南端まで行ってきました。
そして、その後、ドルフィンラグーンでピンクドルフィンショーを見ました。お約束ですね、このルート。
そして、次はやっぱりお約束のアンダーウォーターワールド。普通の水族館という感じでどうってことなかったですが、水族館自体が久しぶりだったので、それなりに楽しめました。このくねくねしたヤツの名前は何だったかな?ムーミンに出てくるニョロニョロってこんな感じじゃなかった?そして、カニ。美味そうと言ったら不謹慎ですか?
セントーサからの帰りはケーブルカーで。上の写真はケーブルカーの中から撮ったものです。工事中なのはカジノですね。カジノがオープンしたらどうなるんでしょうね、セントーサは。
ケーブルカーに乗ったのでマウント・フェーバーまで行こうと思ったら、チケットを片道しか買っておらず、ハーバーフロントで係員のおじさんに、「片道チケットじゃマウント・フェーバーまで行ってもバスはないし、タクシーも来ねぇから帰ってこれねぇよ」と言われてしまい、渋々、ハーバーフロントでケーブルカーを降りました。とほほ・・・。
その後、10番のバスに乗ってカトンへ。ちょっと遅めの昼ご飯。
カトンといえばカトンラクサ。カトンラクサといえば有名な328ラクサですね。
というわけで、行ってきましたが、ほかのラクサと比べてめちゃくちゃうまいとは思いませんでした。私の舌が鈍感なのでしょうか。
シンガポールでもイーストはほとんど行ったことがなかったので、カトンのあたりをぶらぶらしていて、それなりに面白かったです。
シンガポールでは住むならイーストと言いますよね。NUSがイーストにあったらイーストに住めたのに!!
カトンからまたバスでシティーに戻ってきました。
ワンフラトンのあたりでバスを降りて、マーライオン公園へ。
シンガポールといえばマーライオンなので、一応ここは押さえておきました。世界3大がっかりなどと称されるマーライオンですが、ワンフラトン周辺の改修工事が終わって、海側に引っ越してからはかなりきれいになりましたよね。水もちゃんと出るようになったし。引っ越す前は水は出てないし、噴出し口の辺りにサビが付いて汚いし、本当に世界3大がっかりの名にふさわしい姿でしたが・・・。フラトンホテルのあたりは個人的に好きなエリアです。
上の2枚の写真はビクトリアコンサートホールとその前にあるラッフルズ卿の像です。ビクトリアコンサートホールも、遂に中に入ることなく終わってしまいました・・・。
シンガポール川対岸からボートキーを望む。
ボートキーは最近、人気が落ちているそうですね。なにせ、どの店も客引きがしつこいですから。
そして、最後はラッフルズ卿上陸記念の地。
この写真にも映っているマレー人の団体の皆さんが私が写真を撮る前にここで写真を撮っていました。
シンガポールツアー1日目<6月7日(土)>
シンガポール最後の数日間に採った写真をアップロードしたいと言っておきながら、大分時間が経ってしまいましたね。スミマセン。
これから数回に分けて、写真をアップロードしていきたいと思います。
まず、最初は、泊まっていたホテル周辺の写真です。チャイナタウンのど真ん中、Temple Streetのホテルだったので、面白いものがたくさんありました。


上の写真、左はホテルのすぐそばです。いかにもチャイナタウンという感じです。右はホテルから少し歩いたところ。両側にペラナカン風のショップハウスが立ち並んだ道の向こう側に建設中の高層ビルが見えます。いかにもシンガポールらしい風景だと思います。




上の4枚はペラナカン風(?)の建物。やはりホテルの近くをぶらぶらしながら撮った写真です。
シンガポールを出る頃になって急にペラナカン文化に興味を持ち始めて、本を買ったり、ペラナカン博物館などに行ったりしました。やはり、外国人として見ると建物一つとっても面白いですね。でも、ペラナカン料理はあんまりおいしいと思えないものもありますが・・・。


最後がこれ。どうってことない普通の住居の写真です。やはりホテル周辺をぶらぶらしていて偶然見つけた場所。その場に行ったときは生活感がにじみ出ている感じがして、心惹かれて、何枚か写真を撮ったのですが、写真にしてみるとその感じが全く伝わってきませんね・・・。


これから数回に分けて、写真をアップロードしていきたいと思います。
まず、最初は、泊まっていたホテル周辺の写真です。チャイナタウンのど真ん中、Temple Streetのホテルだったので、面白いものがたくさんありました。
上の写真、左はホテルのすぐそばです。いかにもチャイナタウンという感じです。右はホテルから少し歩いたところ。両側にペラナカン風のショップハウスが立ち並んだ道の向こう側に建設中の高層ビルが見えます。いかにもシンガポールらしい風景だと思います。
上の4枚はペラナカン風(?)の建物。やはりホテルの近くをぶらぶらしながら撮った写真です。
シンガポールを出る頃になって急にペラナカン文化に興味を持ち始めて、本を買ったり、ペラナカン博物館などに行ったりしました。やはり、外国人として見ると建物一つとっても面白いですね。でも、ペラナカン料理はあんまりおいしいと思えないものもありますが・・・。
最後がこれ。どうってことない普通の住居の写真です。やはりホテル周辺をぶらぶらしていて偶然見つけた場所。その場に行ったときは生活感がにじみ出ている感じがして、心惹かれて、何枚か写真を撮ったのですが、写真にしてみるとその感じが全く伝わってきませんね・・・。
2008/06/10
シンガポール最後の日
今日はシンガポール最後の日。今夜の便で日本へ戻ります。
7年9ヶ月。短いようで長かった、長いようで短かった、そんな月日です。
最終出勤日の6月6日、メールを送った元学生がオフィスを訪ねてきてくれたり、昔同僚だった日本研究学科の事務の人が電話をくれたり、今の同僚にごはんをご馳走になったり夜中まで飲んだり、そんな中から自分のしてきたことの意味がわかるような気がしました。自分は恩を売るようなつもりは全くなかったんですが、多少なりとも感謝されてたってことですね・・・。よかった(爆)。
何か気の利いたことでも書ければいいのだけれど、引越し前からの疲れもあり、上手い言葉が浮かんできません。でも、気持ちは「ありがとう。再見。」です。どちらも好きな言葉です。
日本語の「ありがとう」は漢字で書くと「有難う」。つまり、「有る」ことが「難しい」、difficult to exist -> rare という意味ですね。
知ってのとおり「再見」は中国語。英語でもSee you.という言い方がありますが、「また会おう」という意味の中国語このあいさつ、希望に満ちている感じがして大好きです。
そうですねぇ。英語で締めくくると、Thank you, Singapore. You are such a special place for me. I will come back here someday. See you, Singapore!
ところで、ここ数日、行ったことが無かった場所を中心に、シンガポール(再)発見ツアーをしました。8年近くもいて、知らなかったことが多いこと多いこと。いったい何をしていたのかという気になります・・・。写真も結構撮ったので、後日、このブログにアップロードしようかと思っています。
7年9ヶ月。短いようで長かった、長いようで短かった、そんな月日です。
最終出勤日の6月6日、メールを送った元学生がオフィスを訪ねてきてくれたり、昔同僚だった日本研究学科の事務の人が電話をくれたり、今の同僚にごはんをご馳走になったり夜中まで飲んだり、そんな中から自分のしてきたことの意味がわかるような気がしました。自分は恩を売るようなつもりは全くなかったんですが、多少なりとも感謝されてたってことですね・・・。よかった(爆)。
何か気の利いたことでも書ければいいのだけれど、引越し前からの疲れもあり、上手い言葉が浮かんできません。でも、気持ちは「ありがとう。再見。」です。どちらも好きな言葉です。
日本語の「ありがとう」は漢字で書くと「有難う」。つまり、「有る」ことが「難しい」、difficult to exist -> rare という意味ですね。
知ってのとおり「再見」は中国語。英語でもSee you.という言い方がありますが、「また会おう」という意味の中国語このあいさつ、希望に満ちている感じがして大好きです。
そうですねぇ。英語で締めくくると、Thank you, Singapore. You are such a special place for me. I will come back here someday. See you, Singapore!
ところで、ここ数日、行ったことが無かった場所を中心に、シンガポール(再)発見ツアーをしました。8年近くもいて、知らなかったことが多いこと多いこと。いったい何をしていたのかという気になります・・・。写真も結構撮ったので、後日、このブログにアップロードしようかと思っています。
2008/05/22
2008/04/20
2008/03/30
ブログ課題3へのコメント
ブログ課題3のコメントについての指示です。
コメント締め切りは4月6日(日)23:59(シンガポール時間)です。
- 3人(以上)のクラスメートの投稿にコメントしてください。
- この投稿のコメントに誰のブログにコメントしたのか書いてください。
コメント締め切りは4月6日(日)23:59(シンガポール時間)です。
大学教員の役割とは?―別れと出会いの季節の春に思う―
3月末。常夏のシンガポールにると季節感が無いが、日本は今、桜の季節を迎えている。日本の3月は卒業をはじめ、別れの季節でもある。
名古屋工業大学の加藤雄一郎先生のこのブログ記事には、ある学生さんのドラマチックな卒業が描かれている。2007年3月31日。呉さんという学生さんの大学生活最後の日、研究室の他の学生さんたちと一緒に呉さんの卒業サプライズパーティーを仕掛ける。二次会が終わり、研究室にみんなで戻ったとき、加藤先生は呉さんに笑顔で「おめでとう」と言うつもりが、思わず泣いてしまう。そして、気がつけば、ほかの学生さんたちもみんな泣いていた。
小・中・高校であれば、教え子が卒業するときに教師が涙を流すのは珍しいことではないだろう。だが、教え子が卒業するとき「本当は手放したくない。もっとかわいがってあげたかった。もっともっと育てたかった。」という気持ちで泣いてくれる大学教師は日本中、いや世界中探してもそんなにいるものではないだろう。
この記事はただ感動的なだけではなく、大学教師のあり方という大きな問題を考えさせてくれるように思う。大学教師には高度な専門知識が要求される。だが、曲がりなりにもその国の将来を背負う人材を育てるという義務がある以上、専門知識の切り売りだけしていればいいわけではない。
加藤先生が他のブログ記事でも時々使われる言葉に「全身全霊」がある。加藤先生はまさに将来を担う若者を育てるという大学教員としての義務を全身全霊で真っ当されているのだろう。だからこそ、教え子が巣立つとき、感極まり思わず涙を流してしまうのだろう。
翻って、自分はどうか。どこまで大学教員としての義務を真っ当できているであろうか。恥ずかしながら加藤先生の足元にも及ばないと思う。日本では新しいことがスタートする季節でもある春、そのあたりのことに改めて考え直したい。
引用・参考記事
「呉っちん、私は自信をもってあなたを社会に送り出すことができます」http://blogs.yahoo.co.jp/kato_yuichiro/46028683.html
ひょんなことから国立大学助教授になった加藤雄一郎の奮闘記 2007年4月1日の記事
名古屋工業大学の加藤雄一郎先生のこのブログ記事には、ある学生さんのドラマチックな卒業が描かれている。2007年3月31日。呉さんという学生さんの大学生活最後の日、研究室の他の学生さんたちと一緒に呉さんの卒業サプライズパーティーを仕掛ける。二次会が終わり、研究室にみんなで戻ったとき、加藤先生は呉さんに笑顔で「おめでとう」と言うつもりが、思わず泣いてしまう。そして、気がつけば、ほかの学生さんたちもみんな泣いていた。
小・中・高校であれば、教え子が卒業するときに教師が涙を流すのは珍しいことではないだろう。だが、教え子が卒業するとき「本当は手放したくない。もっとかわいがってあげたかった。もっともっと育てたかった。」という気持ちで泣いてくれる大学教師は日本中、いや世界中探してもそんなにいるものではないだろう。
この記事はただ感動的なだけではなく、大学教師のあり方という大きな問題を考えさせてくれるように思う。大学教師には高度な専門知識が要求される。だが、曲がりなりにもその国の将来を背負う人材を育てるという義務がある以上、専門知識の切り売りだけしていればいいわけではない。
加藤先生が他のブログ記事でも時々使われる言葉に「全身全霊」がある。加藤先生はまさに将来を担う若者を育てるという大学教員としての義務を全身全霊で真っ当されているのだろう。だからこそ、教え子が巣立つとき、感極まり思わず涙を流してしまうのだろう。
翻って、自分はどうか。どこまで大学教員としての義務を真っ当できているであろうか。恥ずかしながら加藤先生の足元にも及ばないと思う。日本では新しいことがスタートする季節でもある春、そのあたりのことに改めて考え直したい。
引用・参考記事
「呉っちん、私は自信をもってあなたを社会に送り出すことができます」http://blogs.yahoo.co.jp/kato_yuichiro/46028683.html
ひょんなことから国立大学助教授になった加藤雄一郎の奮闘記 2007年4月1日の記事
2008/03/13
日本語って(やっぱり)難しい?
今週月曜日(3月10日)に中間試験があって、その採点が終わりました。ふ~。
で、採点していてちょっと唖然としてしまったのは、今の学生が自動詞・他動詞の区別、使役形と関連表現が非常に弱いこと。(念のため、これは学生が悪いと言っているわけでは決してありません。)
動詞の自他は上級になっても難しい項目ですし、使役形と関連表現も初級を終えたばかりのレベルの学生がよく間違える項目のひとつではあるのですが、それにしても、びっくり。
「泊める」を使った文を作りなさい。
という問に対しては、
「日本へ行ったとき、旅館に泊めました。」
のような自動詞との混同タイプの間違いをしたのが、なな、なんと29人中、18人(62%)です。半分以上の学生が自他の区別を分かっていないということです。ガーン・・・。
蛇足ながら、「そこで車を泊めてください。」なんてナイスボケな間違いも数例ありました。動詞の自他は間違ってないけど、漢字が違うっちゅうねん!
さらに、使役の関連表現の次の問では、誰の視点で述べるのか、誰が誰にさせているのかを間違えていた学生が約7割です。やや厳しめに採点をしましたが、それでも卒倒しそうになりました。
指示「子供のとき、あなたのお兄さん/お姉さんは日本の漫画をたくさん持っていて、あなたにも読ませてくれました。あなたはお兄さん/お姉さんの漫画を読むのが大好きでした。これをあなたの視点から使役形を使って書きなさい。」(本物は英語で指示。)
正解は上の指示文にも出てきてしまっていますが、
「子供のころ、兄/姉に漫画を読ませてもらいました。」
または、
「子供のころ、兄/姉は漫画を読ませてくれました。」
です。
これを、
のように書いているわけです。
これは何とかしなければならないので、今月は「視点、ヴォイス強化月間」として、もう一度、コンセプトを整理して、練習をしたいと思います。
で、採点していてちょっと唖然としてしまったのは、今の学生が自動詞・他動詞の区別、使役形と関連表現が非常に弱いこと。(念のため、これは学生が悪いと言っているわけでは決してありません。)
動詞の自他は上級になっても難しい項目ですし、使役形と関連表現も初級を終えたばかりのレベルの学生がよく間違える項目のひとつではあるのですが、それにしても、びっくり。
「泊める」を使った文を作りなさい。
という問に対しては、
「日本へ行ったとき、旅館に泊めました。」
のような自動詞との混同タイプの間違いをしたのが、なな、なんと29人中、18人(62%)です。半分以上の学生が自他の区別を分かっていないということです。ガーン・・・。
蛇足ながら、「そこで車を泊めてください。」なんてナイスボケな間違いも数例ありました。動詞の自他は間違ってないけど、漢字が違うっちゅうねん!
さらに、使役の関連表現の次の問では、誰の視点で述べるのか、誰が誰にさせているのかを間違えていた学生が約7割です。やや厳しめに採点をしましたが、それでも卒倒しそうになりました。
指示「子供のとき、あなたのお兄さん/お姉さんは日本の漫画をたくさん持っていて、あなたにも読ませてくれました。あなたはお兄さん/お姉さんの漫画を読むのが大好きでした。これをあなたの視点から使役形を使って書きなさい。」(本物は英語で指示。)
正解は上の指示文にも出てきてしまっていますが、
「子供のころ、兄/姉に漫画を読ませてもらいました。」
または、
「子供のころ、兄/姉は漫画を読ませてくれました。」
です。
これを、
- 私は姉のまんがを読ませて楽しかったです。(←本当に楽しかったの?ところで誰に読ませたわけ?
- 子供のとき、私は兄にまんがを読まされました。 (←全然、楽しそうじゃねえじゃん!!)
- 兄のまんがを読まされてくれました。(←だ、誰が何をしたんじゃ???)
のように書いているわけです。
これは何とかしなければならないので、今月は「視点、ヴォイス強化月間」として、もう一度、コンセプトを整理して、練習をしたいと思います。
2008/02/18
「ブログ課題2:日本語を勉強し始めた理由」へのコメント
LAJ3201の学生の皆さん
ブログ課題2のコメントについての指示です。
期限: 2月24日(日) 23:59(シンガポール時間)
ブログ課題2のコメントについての指示です。
- 3人(以上)のクラスメートの投稿にコメントしてください。
- この投稿のコメントに誰のブログにコメントしたのか書いてください。
期限: 2月24日(日) 23:59(シンガポール時間)
2008/02/06
2回目のTA
2月4日・5日は2回目のTAでした。
今回は2課の読み物と、聴解、漢字、それからプロジェクトの読み物の解説という内容でした。
最初のクラスはボロボロでした。学生の皆様、すみませんでした。m(_ _);m
聴解用のCD-ROMのどこに使うファイルが入っているのかわからないで、授業中、しばらくあたふたしてしまいました。授業前にしっかり中身を確認しておくべきでした。学生にしっかり準備して来いと言ってるんだから。ああ、自己嫌悪...
読み物のディスカッションも最初のクラスは様子がわからず、時間を長く取りすぎました。個人的には学生のいろいろな意見が聞けて、非常に面白かったんですが・・・。
今回の読み物のトピックは日英語間のあいさつ言葉の違いでしたが、なかなか面白いトピックだったと思います。
今回は2課の読み物と、聴解、漢字、それからプロジェクトの読み物の解説という内容でした。
最初のクラスはボロボロでした。学生の皆様、すみませんでした。m(_ _);m
聴解用のCD-ROMのどこに使うファイルが入っているのかわからないで、授業中、しばらくあたふたしてしまいました。授業前にしっかり中身を確認しておくべきでした。学生にしっかり準備して来いと言ってるんだから。ああ、自己嫌悪...
読み物のディスカッションも最初のクラスは様子がわからず、時間を長く取りすぎました。個人的には学生のいろいろな意見が聞けて、非常に面白かったんですが・・・。
今回の読み物のトピックは日英語間のあいさつ言葉の違いでしたが、なかなか面白いトピックだったと思います。
2008/02/05
第4回目レクチャー
今回のレクチャーでは、復習(といっても今までのレクチャーでできなかった項目なので厳密に言えば復習ではない。)と第5課の文法項目の導入を行いました。
まだ、このコースのレクチャーでの時間配分の感覚が掴めていませんが、今回はやや余裕がありました。
ただし、余った時間は説明ではなく、練習に充てた方がいいと考えています。説明は最小限にして、なるべく学生が自分自身で文法の規則性や選択制限などを発見できるようにしたいからです。
個別項目としては、新出語彙の共起助詞を答える練習問題をしたが、これはやってよかったと思います。先週、第1課の宿題を採点していて、どうやら今学期の学生は助詞が弱そうだと思ったので、この手の問題を入れてみました。何人かの学生に答えを書いてもらいましたが、問題全体で7-8割は正解していました。しかし、間違いそうだと予測していた部分の間違いがあったので、これからもこの練習は続けていこうと思っています。学生の皆さん、いかがでしょうか?
2課のあいさつの復習(=補足)では、日本語では再会したときに、あいさつの直後に前回その人にしてもらったことや、自分が相手にしてしまったことを詫びるということをします。(例:「おはようございます。昨日はごちそうさまでした。」「先日は済みませんでした。」など)来週のチュートリアルでこの練習もするので、このことを説明しました。わかりやすいようにと、ドラマの1シーンを使って例を示しましたが、学生の皆さんはどうだったのでしょうか?感想、待ってます。
今回もありました。マイナーエラー。いけません、しっかりと見直しをしなければ。そのためには余裕を持ってレクチャーノート作成をすること。わかってはいるんですが...。
----- 以下。自分自身のために書くので、普通体で書きます。----
レクチャーノートの説明について、ふと思ったこと。ノートに書く新出文法の説明は、言うまでもなく自分自身の知織の整理のためにあるのではない。学生がその文法の用法を理解でき、使えるようになるためにあるのだ。しかし、図らずしも現状では自分の知織整理のレベルに留まってしまっている気がする。本来あるべきレクチャーノートの説明とは、教師が知織を整理した上で、学生の理解を促すような形に租借されていなければならない。もうワンステップ必要だ。
さらに、そこで大事なのが、「何のための説明なのか」という問題意識である。よしんば、新出文法項目を上手く説明できても、それを学生が実際に使えるようにならなければ全く意味はない。教科書に出てくるからそれを淡々とこなしてるのでは、文法項目に振り回されるだけで、学生がその文法項目を使えるようになることを目指すことは難しい。教科書と程よく距離を保ちながら、自分のしようとしていることに、「何のための説明なのか」という基本的な問いを絶えずかけていくことが大切だと思う。そうすれば自然と方法は見えてくるはずである。複数の選択肢があったときも、与えられた情況下では何を選ぶのがいいのかも自ずとわかるはずである。所謂、「ぶれない」というのはこういうことなのだと思う。
まだ、このコースのレクチャーでの時間配分の感覚が掴めていませんが、今回はやや余裕がありました。
ただし、余った時間は説明ではなく、練習に充てた方がいいと考えています。説明は最小限にして、なるべく学生が自分自身で文法の規則性や選択制限などを発見できるようにしたいからです。
個別項目としては、新出語彙の共起助詞を答える練習問題をしたが、これはやってよかったと思います。先週、第1課の宿題を採点していて、どうやら今学期の学生は助詞が弱そうだと思ったので、この手の問題を入れてみました。何人かの学生に答えを書いてもらいましたが、問題全体で7-8割は正解していました。しかし、間違いそうだと予測していた部分の間違いがあったので、これからもこの練習は続けていこうと思っています。学生の皆さん、いかがでしょうか?
2課のあいさつの復習(=補足)では、日本語では再会したときに、あいさつの直後に前回その人にしてもらったことや、自分が相手にしてしまったことを詫びるということをします。(例:「おはようございます。昨日はごちそうさまでした。」「先日は済みませんでした。」など)来週のチュートリアルでこの練習もするので、このことを説明しました。わかりやすいようにと、ドラマの1シーンを使って例を示しましたが、学生の皆さんはどうだったのでしょうか?感想、待ってます。
今回もありました。マイナーエラー。いけません、しっかりと見直しをしなければ。そのためには余裕を持ってレクチャーノート作成をすること。わかってはいるんですが...。
----- 以下。自分自身のために書くので、普通体で書きます。----
レクチャーノートの説明について、ふと思ったこと。ノートに書く新出文法の説明は、言うまでもなく自分自身の知織の整理のためにあるのではない。学生がその文法の用法を理解でき、使えるようになるためにあるのだ。しかし、図らずしも現状では自分の知織整理のレベルに留まってしまっている気がする。本来あるべきレクチャーノートの説明とは、教師が知織を整理した上で、学生の理解を促すような形に租借されていなければならない。もうワンステップ必要だ。
さらに、そこで大事なのが、「何のための説明なのか」という問題意識である。よしんば、新出文法項目を上手く説明できても、それを学生が実際に使えるようにならなければ全く意味はない。教科書に出てくるからそれを淡々とこなしてるのでは、文法項目に振り回されるだけで、学生がその文法項目を使えるようになることを目指すことは難しい。教科書と程よく距離を保ちながら、自分のしようとしていることに、「何のための説明なのか」という基本的な問いを絶えずかけていくことが大切だと思う。そうすれば自然と方法は見えてくるはずである。複数の選択肢があったときも、与えられた情況下では何を選ぶのがいいのかも自ずとわかるはずである。所謂、「ぶれない」というのはこういうことなのだと思う。
2008/02/04
初チュートリアル
1月28日・29日は今学期初のチュートリアルでした。既にレクチャーを3回やっているので、学生の様子は掴めてきてはいるものの、やはり30人のレクチャーでは一人一人の様子はよくわかりません。
その1:文法の練習に時間がかかりすぎる。
その2:学生の質問には上手く答えられるようにする。
チュートリアルを終えての正直な感想は、なかなか良い手ごたえありです。レクチャーでもそうですが、積極的に質問したり、自分の考えてきた答えを言ってくれる学生が結構いて、非常に良い傾向だと思っています。誰でも、どんどん発言できて、答えが間違っていても平気という雰囲気作りは努めてしていかなければならないと思っています。
ただ、反省点としては以下の点が挙げられるのではないかと思います。
その1:文法の練習に時間がかかりすぎる。
もともと、いろいろなアクティビティーを沢山詰め込む授業より、一つのことに時間をかけて、じっくりやっていく授業をする方なのですが、宿題の答え合わせだけで30分というのは、ちょっとのんびりすぎるのでは?という気がします。無駄を省いて効率的な時間の使い方をしたいと思いますが、ただ、学生の皆さんはどうなのでしょうか?やることが沢山ある授業と、のんびりでも一つ一つのことを丁寧に進めていく授業とどちらが好みなのでしょうか。
その2:学生の質問には上手く答えられるようにする。
「玄関では靴を脱ぐことになっている。」は大丈夫なのに、「映画館ではタバコを吸わないことになっている。」はどうして変なのか?いろいろ例を集めて検証してみなければ断定はできませんが、これには、動詞の意志性が関わっているのだと思われます。しかし、学生の質問に上手く答えられませんでした。不覚。用例を集めると同時に、調べておきたいと思っています。
その3:発言機会は平等に。
授業後、このコースを一緒に担当しているM先生と話していて、学生の自発性を重視するあまり、どうしても特定の学生に発言が偏ってしまうことに注意しなければならないということに気がつきました。よくできる学生だけではなく、全員に平等に発言機会を与えられるようにするためには、どうしたらいいのか、また、全員に平等に発言機会を与えることは良いことなのか(例えば、学生は発言したくないと思っているのに、指名して半強制的に発言させるというという状況なども考慮して。)考えていきたいと思います。
一つ考えた解決策は、得意分野やよく知っていることについては発言を促すという方法です。普段、おとなしい学生でも得意なことについては、発言しやすいと思いますので。
第3回 レクチャー
1月28日は3回目のレクチャーでした。
2課分やらなければならず、忙しかった前回に比べ、今回は時間はゆったりめだったと思います。
反省点としては、「N1のようなN2」と「N1らしいN2」の違いが上手く説明できなかったこと。
2課分やらなければならず、忙しかった前回に比べ、今回は時間はゆったりめだったと思います。
教えるほうも余裕を持って取り組めたので、良かったです。
反省点としては、「N1のようなN2」と「N1らしいN2」の違いが上手く説明できなかったこと。
大学時代、別科で日本語を勉強していた知り合いの台湾人が、ある男の人が女っぽいということを言うのに「○○さんは、女らしいね~。」と言っていた誤用を思い出したりして、この二つの違いおよび「~ぽい」の使い方も説明したのですが、学生にはわかりにくかったようです。説明の方法、というより手順に問題があったように思います。この点、改善に努めなければなりません。
2008/01/21
コメント付け終了
トラブルがあって、まだコメントがつけられないものが若干ありますが、ほぼ全ての学生ブログにコメントをつけ終わりました。ふー。
さすがに時間がかかりますね、30人強いると。先学期の9人とは大違いです。
しかし、一人ひとりの個性が出ていて、読んでいて非常に面白かったです。
このコースでは学生全員がその素晴らしい個性が発揮できる場を作っていければいいなぁなどと大それたことを考えています。しかし、学生が自分の個性が発揮できる場を提供するということは非常に大切なことだと思います。場合によっては日本語が上手になることよりもずっと。
さすがに時間がかかりますね、30人強いると。先学期の9人とは大違いです。
しかし、一人ひとりの個性が出ていて、読んでいて非常に面白かったです。
このコースでは学生全員がその素晴らしい個性が発揮できる場を作っていければいいなぁなどと大それたことを考えています。しかし、学生が自分の個性が発揮できる場を提供するということは非常に大切なことだと思います。場合によっては日本語が上手になることよりもずっと。
第2回目 レクチャー
今、第2回目の授業(レクチャー)を終えたところです。今日の授業の振り返りをしたいと思います。
全体的なこと
反省として、もっと授業にメリハリをつけるべきだということが挙げられます。
単調だと眠くなりますので。実際、あくびをしていが学生がちらほら。そんな授業はいかん!
一方的な情報の伝達ではなくて、もっと学生が自分で考えて規則を発見できるように仕向けるべきなのですが、これがなかなか難しくて・・・。いろいろ、思いついたアイデアを試していきたいと思います。
一方、結構、良かった点は、学生に新しい文法項目を使った作例を発表してもらうというもの。
結構、凝った例もあり、面白かったです。これは継続していきましょう。指名していないのに自発的に手を挙げて自分が作ってきた例を発表してくれる学生もいました。大変良い傾向です。間違っても、というより、どんどん間違えればいいんです。練習なんだから。ただ、この「間違えても大丈夫。怖くない。」という雰囲気を作れるかどうかは私の手腕にかかっています。それから、学生の答の訂正の方法も大いに私の実力のほどが試される部分です。楽ではありませんが、前向きにチャレンジです。
細かいこと・個別的なこと
タイポを無くす。事前にいろいろ準備して来いと学生に言ってるくせに、教師がこれではいけません。学生が間違って覚えたり、混乱にもつながります。
依頼と許可求めの違い
誰がその行為をするのか、決定権は誰にあるのか、誰に恩恵があるのかという観点から「依頼」と「許可求め」の差を説明したつもりでした。しかし、いまいち学生の反応が良くありませんでした。上記3つの基準は「依頼」「許可求め」も含めた、いわゆる「行動展開型表現」(蒲谷宏・川口義一・坂本惠(1998)『敬語表現』,大修館書店)の説明には必要なものです。しかし、今思えば「依頼」と「許可求め」が異なるのは誰がその行為をするのかという点だけだったので、その点に絞って説明すればよかったと思います。
また、上の事項の説明の直後に、下の4つの文が依頼か許可求めか考える問題をやりましたが、いささか例が悪かったと思います。
a) 本を読ませていただけないでしょうか。
b) 本を読んでいただけないでしょうか。
c) 本を貸していただけないでしょうか。
d) 本を借りていただけないでしょうか。
c)、d)は学生がよく混同するパターンで意味が全く反対ですが、「依頼」と「許可求め」の区別には関係がありません。この点は説明しながら気がついて、まずいなぁと思っていました。ポイントを明確にして、例文をよく吟味しておくべきでした。
「Vべきではない」は"should not"か"don't have to"か
授業後、ある学生から質問がありました。鋭い!今日やった「Vべき」の否定形「Vべきではない/Vべきじゃない」は何かをしないほうがいいと積極的に相手に働きかける表現なので、英語だと"should not"に相当しますね。この点がわかってないと、適切な場面で使うことができませんよね。来週の授業で補足説明しておきます。質問してくれた学生、ありがとう!
------------------------------------------------------
以下は、何を言っているのかわかりにくいと思いますが、自分のためのメモとして残しておきたいと思います。
------------------------------------------------------
今学期は学習項目(文法項目、表現)に振り回されず、何を、どういう場面で、どう伝えるときに特定の学習項目を使うのかということを意識しているつもりだ。同趣旨のことは先学期の授業ブログに書いたが、文法項目や表現が先にあるのではない。何らかの伝えたい思いがあって、それを相手に伝えるために特定の表現を選ぶのだ。その点、改めて心しなければならない。
自分のやっていることを様々な視点、角度からクリティカルに見ること、特に、鳥瞰図的な視点と微視的な視点は必要だ。
全体的なこと
反省として、もっと授業にメリハリをつけるべきだということが挙げられます。
単調だと眠くなりますので。実際、あくびをしていが学生がちらほら。そんな授業はいかん!
一方的な情報の伝達ではなくて、もっと学生が自分で考えて規則を発見できるように仕向けるべきなのですが、これがなかなか難しくて・・・。いろいろ、思いついたアイデアを試していきたいと思います。
一方、結構、良かった点は、学生に新しい文法項目を使った作例を発表してもらうというもの。
結構、凝った例もあり、面白かったです。これは継続していきましょう。指名していないのに自発的に手を挙げて自分が作ってきた例を発表してくれる学生もいました。大変良い傾向です。間違っても、というより、どんどん間違えればいいんです。練習なんだから。ただ、この「間違えても大丈夫。怖くない。」という雰囲気を作れるかどうかは私の手腕にかかっています。それから、学生の答の訂正の方法も大いに私の実力のほどが試される部分です。楽ではありませんが、前向きにチャレンジです。
細かいこと・個別的なこと
タイポを無くす。事前にいろいろ準備して来いと学生に言ってるくせに、教師がこれではいけません。学生が間違って覚えたり、混乱にもつながります。
依頼と許可求めの違い
誰がその行為をするのか、決定権は誰にあるのか、誰に恩恵があるのかという観点から「依頼」と「許可求め」の差を説明したつもりでした。しかし、いまいち学生の反応が良くありませんでした。上記3つの基準は「依頼」「許可求め」も含めた、いわゆる「行動展開型表現」(蒲谷宏・川口義一・坂本惠(1998)『敬語表現』,大修館書店)の説明には必要なものです。しかし、今思えば「依頼」と「許可求め」が異なるのは誰がその行為をするのかという点だけだったので、その点に絞って説明すればよかったと思います。
また、上の事項の説明の直後に、下の4つの文が依頼か許可求めか考える問題をやりましたが、いささか例が悪かったと思います。
b) 本を読んでいただけないでしょうか。
c) 本を貸していただけないでしょうか。
d) 本を借りていただけないでしょうか。
c)、d)は学生がよく混同するパターンで意味が全く反対ですが、「依頼」と「許可求め」の区別には関係がありません。この点は説明しながら気がついて、まずいなぁと思っていました。ポイントを明確にして、例文をよく吟味しておくべきでした。
「Vべきではない」は"should not"か"don't have to"か
授業後、ある学生から質問がありました。鋭い!今日やった「Vべき」の否定形「Vべきではない/Vべきじゃない」は何かをしないほうがいいと積極的に相手に働きかける表現なので、英語だと"should not"に相当しますね。この点がわかってないと、適切な場面で使うことができませんよね。来週の授業で補足説明しておきます。質問してくれた学生、ありがとう!
------------------------------------------------------
以下は、何を言っているのかわかりにくいと思いますが、自分のためのメモとして残しておきたいと思います。
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今学期は学習項目(文法項目、表現)に振り回されず、何を、どういう場面で、どう伝えるときに特定の学習項目を使うのかということを意識しているつもりだ。同趣旨のことは先学期の授業ブログに書いたが、文法項目や表現が先にあるのではない。何らかの伝えたい思いがあって、それを相手に伝えるために特定の表現を選ぶのだ。その点、改めて心しなければならない。
自分のやっていることを様々な視点、角度からクリティカルに見ること、特に、鳥瞰図的な視点と微視的な視点は必要だ。
2008/01/18
いまいちかな・・・
Yahoo! Japan Sound Stationで、Fantastic Plastic Machineやcapsuleを聞いたのがきっかけで、去年から日本のクラブミュージックを聞くようになった。それまではハウスやテクノは、むしろ好きではなかったが、どういうわけかFPMやcapsuleはすんなりと受け入れられた。年を取ると子供のとき食べられなかったものが食べられるようになるというのと同じなのだろうか?それにしては嗜好が若返ってるのだが・・・(笑)。念のため言っておくと、決して、無理して若作りしているわけではない。(汗;
そんなわけで、最近 DAISHI DANCE というアーティストの"MELODIES MELODIES"というアルバムを買って聞いている。確かに綺麗なメロディーの曲が多いし、ドラマの1シーンが浮かんできそうな曲ばかりだ。俳優の斎藤工は"from japan to japan....."という曲をブログで絶賛している。
しかし、個人的にはどうも今ひとつな気がする。Jazztronik の "Love Tribe"やFPMBに比べると、見劣りする気がしてならない。たった1枚のアルバムで評価を下すのも性急すぎるが、JazztronikやFPMの守備範囲の広さに比べると単調すぎる感がある。
昨日Amazon.co.jpから届いたばかりだし、John Legendの"Once Again"のように聞けば聞くほど味が出てくるというスルメのようなアルバムであることを願っている。
そんなわけで、最近 DAISHI DANCE というアーティストの"MELODIES MELODIES"というアルバムを買って聞いている。確かに綺麗なメロディーの曲が多いし、ドラマの1シーンが浮かんできそうな曲ばかりだ。俳優の斎藤工は"from japan to japan....."という曲をブログで絶賛している。
しかし、個人的にはどうも今ひとつな気がする。Jazztronik の "Love Tribe"やFPMBに比べると、見劣りする気がしてならない。たった1枚のアルバムで評価を下すのも性急すぎるが、JazztronikやFPMの守備範囲の広さに比べると単調すぎる感がある。
昨日Amazon.co.jpから届いたばかりだし、John Legendの"Once Again"のように聞けば聞くほど味が出てくるというスルメのようなアルバムであることを願っている。
2008/01/15
マイブーム
最近のマイブームはクラシックです。
もともとクラシックには全く詳しくなかったし、今でもそうです。
しかし、昨年、ちょっとしたきっかけでOTTAVAというクラシックステーションを知ってから、毎日、OTTAVAのポッドキャストでクラシックを聞いています。
そのOTTAVAで最近知った作曲家がRachmaninov。「交響曲第2番ホ短調 第3楽章」の美メロにやられました・・・。他にも「ヴォカリーズ」という、本来母音だけで歌う声楽曲(?)として作られた曲も好きです。
で、この前の日曜日、買い物に出かけたついでにHMVに立ち寄ったところ、な、な、なんと、Ultimate Rachmaninovという5枚組のCDが$22というお買い得プライスで売られているではありませんか!!即、衝動買いに走りました。
あんまり収録曲をチェックせずに買ったのですが、ラッキーなことに「交響曲第二番ホ短調 第3楽章」も「ヴォカリーズ」もこのCDに入ってました。やはり代表作なんですね、どっちも。他にも素晴らしい曲が沢山入っていて、このところ仕事をするときもずっと聞いています。
そういえば、この人の「ピアノ協奏曲第2番ハ短調」は、近年人気の『のだめカンタービレ』にも出てくるんですね。
もともとクラシックには全く詳しくなかったし、今でもそうです。
しかし、昨年、ちょっとしたきっかけでOTTAVAというクラシックステーションを知ってから、毎日、OTTAVAのポッドキャストでクラシックを聞いています。
そのOTTAVAで最近知った作曲家がRachmaninov。「交響曲第2番ホ短調 第3楽章」の美メロにやられました・・・。他にも「ヴォカリーズ」という、本来母音だけで歌う声楽曲(?)として作られた曲も好きです。
で、この前の日曜日、買い物に出かけたついでにHMVに立ち寄ったところ、な、な、なんと、Ultimate Rachmaninovという5枚組のCDが$22というお買い得プライスで売られているではありませんか!!即、衝動買いに走りました。
あんまり収録曲をチェックせずに買ったのですが、ラッキーなことに「交響曲第二番ホ短調 第3楽章」も「ヴォカリーズ」もこのCDに入ってました。やはり代表作なんですね、どっちも。他にも素晴らしい曲が沢山入っていて、このところ仕事をするときもずっと聞いています。
そういえば、この人の「ピアノ協奏曲第2番ハ短調」は、近年人気の『のだめカンタービレ』にも出てくるんですね。
初授業
今日、今学期初の授業があった。
このコースは以前にも教えたことがあるし、内容こそ違うものの、このコースと同じ初級前半レベルは先学期も教えた。
ただ、今学期は先学期より学生数が多い。というより先学期が少なすぎたと言った方が正確だ。今日の初授業にも30人近くの学生が出席していた。まだ始まったばかりだから何とも言えないが、クラスの雰囲気は良さそうだ。やはりこのくらいの数の学生がいないと盛り上がらない。
用意した内容は終わりきれるかどうか心配だったが、十分に終えることができた。教科書販売が授業の直前だったので予習を課すことができず、ペースはゆっくり気味だった。
来週は2課分を終えなければならないので、もっと手際よくやらなければならない。
時間になっても書店の人が来ない。教室変更があったことを書店の担当者に伝え忘れていたため、書店の担当の人が変更前の教室でスタンバイしていたのだ。急遽、変更前の教室にいる書店の人を呼びに行って急いで移動してもらった。そんなこんなで授業開始が遅れてしまった。学生、そして書店の担当者にも申し訳なかった。気をつけねば・・・。
----------------------------
(以下、1月18日に追加した内容。)
授業中、問題の答え合わせで学生を一人ずつ当てて答を言ってもらっていたとき、答えを間違えた学生がいた。せっかく答えを言ってくれたのだから、なるべく、その学生の答を尊重しよう、傷付けないようにしようとしたつもりだったのだが、その学生が答えた直後、「他の答えの人?」とクラスに問いかけた瞬間、その間違えてしまった学生の顔が曇ったのがわかった。
大失敗だった。その学生の面子を傷つけないように正解を導き出すことができたはずだ。例えば、学生が間違った答えを言ったあと、「OK。じゃ、その答にいくら賭ける?絶対?他の答えの人は?本当にそう思う?いくら賭ける?」などとくだらないやり取りを間違えた学生も含めて何人かの学生として、かなり引っ張った後、「お待たせしました。正解は~です。」などとすれば、まだましだったはず。
学部4年のとき取っていた教育実習の授業担当の先生が「教師というのは業の深い職業だ。なぜなら、何人もの生徒を殺してしまうからだ。」ということをおっしゃっていた。まさにそのとおりだ。私はこの日、この学生の気持ちを殺してしまった。こんなことをしていたら、いくら「間違えてもいいから、自分の答えを言ってごらん。」とか「練習なんだから沢山間違えてください。」などと言ったところで、まるで説得力に欠ける。こうした「気持ち殺し」が全く気にならなくなったら、或いは気がついてもそれは些細なことだと真剣に捉えなくなったら、そのときはきっと教師という仕事を辞めるべき時なのだろう。
背筋が伸びる思いがした出来事だった。
このコースは以前にも教えたことがあるし、内容こそ違うものの、このコースと同じ初級前半レベルは先学期も教えた。
ただ、今学期は先学期より学生数が多い。というより先学期が少なすぎたと言った方が正確だ。今日の初授業にも30人近くの学生が出席していた。まだ始まったばかりだから何とも言えないが、クラスの雰囲気は良さそうだ。やはりこのくらいの数の学生がいないと盛り上がらない。
用意した内容は終わりきれるかどうか心配だったが、十分に終えることができた。教科書販売が授業の直前だったので予習を課すことができず、ペースはゆっくり気味だった。
来週は2課分を終えなければならないので、もっと手際よくやらなければならない。
時間になっても書店の人が来ない。教室変更があったことを書店の担当者に伝え忘れていたため、書店の担当の人が変更前の教室でスタンバイしていたのだ。急遽、変更前の教室にいる書店の人を呼びに行って急いで移動してもらった。そんなこんなで授業開始が遅れてしまった。学生、そして書店の担当者にも申し訳なかった。気をつけねば・・・。
----------------------------
(以下、1月18日に追加した内容。)
授業中、問題の答え合わせで学生を一人ずつ当てて答を言ってもらっていたとき、答えを間違えた学生がいた。せっかく答えを言ってくれたのだから、なるべく、その学生の答を尊重しよう、傷付けないようにしようとしたつもりだったのだが、その学生が答えた直後、「他の答えの人?」とクラスに問いかけた瞬間、その間違えてしまった学生の顔が曇ったのがわかった。
大失敗だった。その学生の面子を傷つけないように正解を導き出すことができたはずだ。例えば、学生が間違った答えを言ったあと、「OK。じゃ、その答にいくら賭ける?絶対?他の答えの人は?本当にそう思う?いくら賭ける?」などとくだらないやり取りを間違えた学生も含めて何人かの学生として、かなり引っ張った後、「お待たせしました。正解は~です。」などとすれば、まだましだったはず。
学部4年のとき取っていた教育実習の授業担当の先生が「教師というのは業の深い職業だ。なぜなら、何人もの生徒を殺してしまうからだ。」ということをおっしゃっていた。まさにそのとおりだ。私はこの日、この学生の気持ちを殺してしまった。こんなことをしていたら、いくら「間違えてもいいから、自分の答えを言ってごらん。」とか「練習なんだから沢山間違えてください。」などと言ったところで、まるで説得力に欠ける。こうした「気持ち殺し」が全く気にならなくなったら、或いは気がついてもそれは些細なことだと真剣に捉えなくなったら、そのときはきっと教師という仕事を辞めるべき時なのだろう。
背筋が伸びる思いがした出来事だった。
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