トラブルがあって、まだコメントがつけられないものが若干ありますが、ほぼ全ての学生ブログにコメントをつけ終わりました。ふー。
さすがに時間がかかりますね、30人強いると。先学期の9人とは大違いです。
しかし、一人ひとりの個性が出ていて、読んでいて非常に面白かったです。
このコースでは学生全員がその素晴らしい個性が発揮できる場を作っていければいいなぁなどと大それたことを考えています。しかし、学生が自分の個性が発揮できる場を提供するということは非常に大切なことだと思います。場合によっては日本語が上手になることよりもずっと。
ブログのタイトルはミスチルの同名の曲からもらいました。この曲の歌詞のように、いつもの単純作業でも回りまわって世界のだれかを笑顔にしているのだと思えば、ちょっと幸せな気持ちになれます。同じ理屈で、日本語を教える中で自分がしている些細なことも、今すぐではなくても、この先いつか学生の役に立つ日が来るのかもと考えれば、俄然やる気も出てきますし、手も抜けません。なんて、カッコつけすぎかな?
2008/01/21
第2回目 レクチャー
今、第2回目の授業(レクチャー)を終えたところです。今日の授業の振り返りをしたいと思います。
全体的なこと
反省として、もっと授業にメリハリをつけるべきだということが挙げられます。
単調だと眠くなりますので。実際、あくびをしていが学生がちらほら。そんな授業はいかん!
一方的な情報の伝達ではなくて、もっと学生が自分で考えて規則を発見できるように仕向けるべきなのですが、これがなかなか難しくて・・・。いろいろ、思いついたアイデアを試していきたいと思います。
一方、結構、良かった点は、学生に新しい文法項目を使った作例を発表してもらうというもの。
結構、凝った例もあり、面白かったです。これは継続していきましょう。指名していないのに自発的に手を挙げて自分が作ってきた例を発表してくれる学生もいました。大変良い傾向です。間違っても、というより、どんどん間違えればいいんです。練習なんだから。ただ、この「間違えても大丈夫。怖くない。」という雰囲気を作れるかどうかは私の手腕にかかっています。それから、学生の答の訂正の方法も大いに私の実力のほどが試される部分です。楽ではありませんが、前向きにチャレンジです。
細かいこと・個別的なこと
タイポを無くす。事前にいろいろ準備して来いと学生に言ってるくせに、教師がこれではいけません。学生が間違って覚えたり、混乱にもつながります。
依頼と許可求めの違い
誰がその行為をするのか、決定権は誰にあるのか、誰に恩恵があるのかという観点から「依頼」と「許可求め」の差を説明したつもりでした。しかし、いまいち学生の反応が良くありませんでした。上記3つの基準は「依頼」「許可求め」も含めた、いわゆる「行動展開型表現」(蒲谷宏・川口義一・坂本惠(1998)『敬語表現』,大修館書店)の説明には必要なものです。しかし、今思えば「依頼」と「許可求め」が異なるのは誰がその行為をするのかという点だけだったので、その点に絞って説明すればよかったと思います。
また、上の事項の説明の直後に、下の4つの文が依頼か許可求めか考える問題をやりましたが、いささか例が悪かったと思います。
a) 本を読ませていただけないでしょうか。
b) 本を読んでいただけないでしょうか。
c) 本を貸していただけないでしょうか。
d) 本を借りていただけないでしょうか。
c)、d)は学生がよく混同するパターンで意味が全く反対ですが、「依頼」と「許可求め」の区別には関係がありません。この点は説明しながら気がついて、まずいなぁと思っていました。ポイントを明確にして、例文をよく吟味しておくべきでした。
「Vべきではない」は"should not"か"don't have to"か
授業後、ある学生から質問がありました。鋭い!今日やった「Vべき」の否定形「Vべきではない/Vべきじゃない」は何かをしないほうがいいと積極的に相手に働きかける表現なので、英語だと"should not"に相当しますね。この点がわかってないと、適切な場面で使うことができませんよね。来週の授業で補足説明しておきます。質問してくれた学生、ありがとう!
------------------------------------------------------
以下は、何を言っているのかわかりにくいと思いますが、自分のためのメモとして残しておきたいと思います。
------------------------------------------------------
今学期は学習項目(文法項目、表現)に振り回されず、何を、どういう場面で、どう伝えるときに特定の学習項目を使うのかということを意識しているつもりだ。同趣旨のことは先学期の授業ブログに書いたが、文法項目や表現が先にあるのではない。何らかの伝えたい思いがあって、それを相手に伝えるために特定の表現を選ぶのだ。その点、改めて心しなければならない。
自分のやっていることを様々な視点、角度からクリティカルに見ること、特に、鳥瞰図的な視点と微視的な視点は必要だ。
全体的なこと
反省として、もっと授業にメリハリをつけるべきだということが挙げられます。
単調だと眠くなりますので。実際、あくびをしていが学生がちらほら。そんな授業はいかん!
一方的な情報の伝達ではなくて、もっと学生が自分で考えて規則を発見できるように仕向けるべきなのですが、これがなかなか難しくて・・・。いろいろ、思いついたアイデアを試していきたいと思います。
一方、結構、良かった点は、学生に新しい文法項目を使った作例を発表してもらうというもの。
結構、凝った例もあり、面白かったです。これは継続していきましょう。指名していないのに自発的に手を挙げて自分が作ってきた例を発表してくれる学生もいました。大変良い傾向です。間違っても、というより、どんどん間違えればいいんです。練習なんだから。ただ、この「間違えても大丈夫。怖くない。」という雰囲気を作れるかどうかは私の手腕にかかっています。それから、学生の答の訂正の方法も大いに私の実力のほどが試される部分です。楽ではありませんが、前向きにチャレンジです。
細かいこと・個別的なこと
タイポを無くす。事前にいろいろ準備して来いと学生に言ってるくせに、教師がこれではいけません。学生が間違って覚えたり、混乱にもつながります。
依頼と許可求めの違い
誰がその行為をするのか、決定権は誰にあるのか、誰に恩恵があるのかという観点から「依頼」と「許可求め」の差を説明したつもりでした。しかし、いまいち学生の反応が良くありませんでした。上記3つの基準は「依頼」「許可求め」も含めた、いわゆる「行動展開型表現」(蒲谷宏・川口義一・坂本惠(1998)『敬語表現』,大修館書店)の説明には必要なものです。しかし、今思えば「依頼」と「許可求め」が異なるのは誰がその行為をするのかという点だけだったので、その点に絞って説明すればよかったと思います。
また、上の事項の説明の直後に、下の4つの文が依頼か許可求めか考える問題をやりましたが、いささか例が悪かったと思います。
b) 本を読んでいただけないでしょうか。
c) 本を貸していただけないでしょうか。
d) 本を借りていただけないでしょうか。
c)、d)は学生がよく混同するパターンで意味が全く反対ですが、「依頼」と「許可求め」の区別には関係がありません。この点は説明しながら気がついて、まずいなぁと思っていました。ポイントを明確にして、例文をよく吟味しておくべきでした。
「Vべきではない」は"should not"か"don't have to"か
授業後、ある学生から質問がありました。鋭い!今日やった「Vべき」の否定形「Vべきではない/Vべきじゃない」は何かをしないほうがいいと積極的に相手に働きかける表現なので、英語だと"should not"に相当しますね。この点がわかってないと、適切な場面で使うことができませんよね。来週の授業で補足説明しておきます。質問してくれた学生、ありがとう!
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以下は、何を言っているのかわかりにくいと思いますが、自分のためのメモとして残しておきたいと思います。
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今学期は学習項目(文法項目、表現)に振り回されず、何を、どういう場面で、どう伝えるときに特定の学習項目を使うのかということを意識しているつもりだ。同趣旨のことは先学期の授業ブログに書いたが、文法項目や表現が先にあるのではない。何らかの伝えたい思いがあって、それを相手に伝えるために特定の表現を選ぶのだ。その点、改めて心しなければならない。
自分のやっていることを様々な視点、角度からクリティカルに見ること、特に、鳥瞰図的な視点と微視的な視点は必要だ。
2008/01/18
いまいちかな・・・
Yahoo! Japan Sound Stationで、Fantastic Plastic Machineやcapsuleを聞いたのがきっかけで、去年から日本のクラブミュージックを聞くようになった。それまではハウスやテクノは、むしろ好きではなかったが、どういうわけかFPMやcapsuleはすんなりと受け入れられた。年を取ると子供のとき食べられなかったものが食べられるようになるというのと同じなのだろうか?それにしては嗜好が若返ってるのだが・・・(笑)。念のため言っておくと、決して、無理して若作りしているわけではない。(汗;
そんなわけで、最近 DAISHI DANCE というアーティストの"MELODIES MELODIES"というアルバムを買って聞いている。確かに綺麗なメロディーの曲が多いし、ドラマの1シーンが浮かんできそうな曲ばかりだ。俳優の斎藤工は"from japan to japan....."という曲をブログで絶賛している。
しかし、個人的にはどうも今ひとつな気がする。Jazztronik の "Love Tribe"やFPMBに比べると、見劣りする気がしてならない。たった1枚のアルバムで評価を下すのも性急すぎるが、JazztronikやFPMの守備範囲の広さに比べると単調すぎる感がある。
昨日Amazon.co.jpから届いたばかりだし、John Legendの"Once Again"のように聞けば聞くほど味が出てくるというスルメのようなアルバムであることを願っている。
そんなわけで、最近 DAISHI DANCE というアーティストの"MELODIES MELODIES"というアルバムを買って聞いている。確かに綺麗なメロディーの曲が多いし、ドラマの1シーンが浮かんできそうな曲ばかりだ。俳優の斎藤工は"from japan to japan....."という曲をブログで絶賛している。
しかし、個人的にはどうも今ひとつな気がする。Jazztronik の "Love Tribe"やFPMBに比べると、見劣りする気がしてならない。たった1枚のアルバムで評価を下すのも性急すぎるが、JazztronikやFPMの守備範囲の広さに比べると単調すぎる感がある。
昨日Amazon.co.jpから届いたばかりだし、John Legendの"Once Again"のように聞けば聞くほど味が出てくるというスルメのようなアルバムであることを願っている。
2008/01/15
マイブーム
最近のマイブームはクラシックです。
もともとクラシックには全く詳しくなかったし、今でもそうです。
しかし、昨年、ちょっとしたきっかけでOTTAVAというクラシックステーションを知ってから、毎日、OTTAVAのポッドキャストでクラシックを聞いています。
そのOTTAVAで最近知った作曲家がRachmaninov。「交響曲第2番ホ短調 第3楽章」の美メロにやられました・・・。他にも「ヴォカリーズ」という、本来母音だけで歌う声楽曲(?)として作られた曲も好きです。
で、この前の日曜日、買い物に出かけたついでにHMVに立ち寄ったところ、な、な、なんと、Ultimate Rachmaninovという5枚組のCDが$22というお買い得プライスで売られているではありませんか!!即、衝動買いに走りました。
あんまり収録曲をチェックせずに買ったのですが、ラッキーなことに「交響曲第二番ホ短調 第3楽章」も「ヴォカリーズ」もこのCDに入ってました。やはり代表作なんですね、どっちも。他にも素晴らしい曲が沢山入っていて、このところ仕事をするときもずっと聞いています。
そういえば、この人の「ピアノ協奏曲第2番ハ短調」は、近年人気の『のだめカンタービレ』にも出てくるんですね。
もともとクラシックには全く詳しくなかったし、今でもそうです。
しかし、昨年、ちょっとしたきっかけでOTTAVAというクラシックステーションを知ってから、毎日、OTTAVAのポッドキャストでクラシックを聞いています。
そのOTTAVAで最近知った作曲家がRachmaninov。「交響曲第2番ホ短調 第3楽章」の美メロにやられました・・・。他にも「ヴォカリーズ」という、本来母音だけで歌う声楽曲(?)として作られた曲も好きです。
で、この前の日曜日、買い物に出かけたついでにHMVに立ち寄ったところ、な、な、なんと、Ultimate Rachmaninovという5枚組のCDが$22というお買い得プライスで売られているではありませんか!!即、衝動買いに走りました。
あんまり収録曲をチェックせずに買ったのですが、ラッキーなことに「交響曲第二番ホ短調 第3楽章」も「ヴォカリーズ」もこのCDに入ってました。やはり代表作なんですね、どっちも。他にも素晴らしい曲が沢山入っていて、このところ仕事をするときもずっと聞いています。
そういえば、この人の「ピアノ協奏曲第2番ハ短調」は、近年人気の『のだめカンタービレ』にも出てくるんですね。
初授業
今日、今学期初の授業があった。
このコースは以前にも教えたことがあるし、内容こそ違うものの、このコースと同じ初級前半レベルは先学期も教えた。
ただ、今学期は先学期より学生数が多い。というより先学期が少なすぎたと言った方が正確だ。今日の初授業にも30人近くの学生が出席していた。まだ始まったばかりだから何とも言えないが、クラスの雰囲気は良さそうだ。やはりこのくらいの数の学生がいないと盛り上がらない。
用意した内容は終わりきれるかどうか心配だったが、十分に終えることができた。教科書販売が授業の直前だったので予習を課すことができず、ペースはゆっくり気味だった。
来週は2課分を終えなければならないので、もっと手際よくやらなければならない。
時間になっても書店の人が来ない。教室変更があったことを書店の担当者に伝え忘れていたため、書店の担当の人が変更前の教室でスタンバイしていたのだ。急遽、変更前の教室にいる書店の人を呼びに行って急いで移動してもらった。そんなこんなで授業開始が遅れてしまった。学生、そして書店の担当者にも申し訳なかった。気をつけねば・・・。
----------------------------
(以下、1月18日に追加した内容。)
授業中、問題の答え合わせで学生を一人ずつ当てて答を言ってもらっていたとき、答えを間違えた学生がいた。せっかく答えを言ってくれたのだから、なるべく、その学生の答を尊重しよう、傷付けないようにしようとしたつもりだったのだが、その学生が答えた直後、「他の答えの人?」とクラスに問いかけた瞬間、その間違えてしまった学生の顔が曇ったのがわかった。
大失敗だった。その学生の面子を傷つけないように正解を導き出すことができたはずだ。例えば、学生が間違った答えを言ったあと、「OK。じゃ、その答にいくら賭ける?絶対?他の答えの人は?本当にそう思う?いくら賭ける?」などとくだらないやり取りを間違えた学生も含めて何人かの学生として、かなり引っ張った後、「お待たせしました。正解は~です。」などとすれば、まだましだったはず。
学部4年のとき取っていた教育実習の授業担当の先生が「教師というのは業の深い職業だ。なぜなら、何人もの生徒を殺してしまうからだ。」ということをおっしゃっていた。まさにそのとおりだ。私はこの日、この学生の気持ちを殺してしまった。こんなことをしていたら、いくら「間違えてもいいから、自分の答えを言ってごらん。」とか「練習なんだから沢山間違えてください。」などと言ったところで、まるで説得力に欠ける。こうした「気持ち殺し」が全く気にならなくなったら、或いは気がついてもそれは些細なことだと真剣に捉えなくなったら、そのときはきっと教師という仕事を辞めるべき時なのだろう。
背筋が伸びる思いがした出来事だった。
このコースは以前にも教えたことがあるし、内容こそ違うものの、このコースと同じ初級前半レベルは先学期も教えた。
ただ、今学期は先学期より学生数が多い。というより先学期が少なすぎたと言った方が正確だ。今日の初授業にも30人近くの学生が出席していた。まだ始まったばかりだから何とも言えないが、クラスの雰囲気は良さそうだ。やはりこのくらいの数の学生がいないと盛り上がらない。
用意した内容は終わりきれるかどうか心配だったが、十分に終えることができた。教科書販売が授業の直前だったので予習を課すことができず、ペースはゆっくり気味だった。
来週は2課分を終えなければならないので、もっと手際よくやらなければならない。
時間になっても書店の人が来ない。教室変更があったことを書店の担当者に伝え忘れていたため、書店の担当の人が変更前の教室でスタンバイしていたのだ。急遽、変更前の教室にいる書店の人を呼びに行って急いで移動してもらった。そんなこんなで授業開始が遅れてしまった。学生、そして書店の担当者にも申し訳なかった。気をつけねば・・・。
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(以下、1月18日に追加した内容。)
授業中、問題の答え合わせで学生を一人ずつ当てて答を言ってもらっていたとき、答えを間違えた学生がいた。せっかく答えを言ってくれたのだから、なるべく、その学生の答を尊重しよう、傷付けないようにしようとしたつもりだったのだが、その学生が答えた直後、「他の答えの人?」とクラスに問いかけた瞬間、その間違えてしまった学生の顔が曇ったのがわかった。
大失敗だった。その学生の面子を傷つけないように正解を導き出すことができたはずだ。例えば、学生が間違った答えを言ったあと、「OK。じゃ、その答にいくら賭ける?絶対?他の答えの人は?本当にそう思う?いくら賭ける?」などとくだらないやり取りを間違えた学生も含めて何人かの学生として、かなり引っ張った後、「お待たせしました。正解は~です。」などとすれば、まだましだったはず。
学部4年のとき取っていた教育実習の授業担当の先生が「教師というのは業の深い職業だ。なぜなら、何人もの生徒を殺してしまうからだ。」ということをおっしゃっていた。まさにそのとおりだ。私はこの日、この学生の気持ちを殺してしまった。こんなことをしていたら、いくら「間違えてもいいから、自分の答えを言ってごらん。」とか「練習なんだから沢山間違えてください。」などと言ったところで、まるで説得力に欠ける。こうした「気持ち殺し」が全く気にならなくなったら、或いは気がついてもそれは些細なことだと真剣に捉えなくなったら、そのときはきっと教師という仕事を辞めるべき時なのだろう。
背筋が伸びる思いがした出来事だった。
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